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福田神社の銀杏です 私のお気に入りの場所


概して、イタドリ・ハギ・ススキ・ワラピ・アカマツ・コナラ・ヌルデなどは日当たりのよいところを好むようです。生い茂っていた林が切り払われると、この後にこうした植物が生えきます。これらの植物は暖帯植物であるが、日当たりさえよければ温帯林にも入っていくようです。山の南側の暖帯林が伐採されると、一面のササの群落におおわれたり、アカマツ・クヌギなどの日当たりのよいところを好む植物が生えます。



投稿日:2007年10月28日 13:50 | コメント (0)

蒜山地方の人々は「ハンザキ」と呼ぶオオサンショウウオ 君は恐ろしかった!

蒜山の動物としては、オオサンショウウオを第一に挙げねばなりません。体長150センチメートルにもなる、川巨大で、グロテスクなこの動物は、日本がまだ大陸と陸続きであった洪積世のころは広く分布していたが、・沖積世となり、日本全体か暖くなるにつれて河川の下流部分では絶滅したそうです。水の冷たい蒜山の風土と人々の愛情に守られて生き残ったこのオオサンショウウオは、文字どおり「生きた化石」と呼ぶにふさわしいです。体を半分に裂かれても生きているというので、蒜山地方の人々は「ハンザキ」と呼び、その数は年々減少していたが、昭和2年、国の天然記念物、のちに特別天然記念物に指定され、住民の保護のもとに、最近では少しずつ増えています。



投稿日:2007年05月15日 13:58 | コメント (0)

 どっちが田舎なんじゃ~

塩釜に近い丘陵にピット(径90センチメートルほどの袋穴のようなもの)があり、その内外から縄文式土器の細片か発見されました。
 この蒜山盆地は、季節的な、長期間にわたらない・臨時の狩猟採取の場となったようです。このことは、この地帯から発見された遺物が、他の中国山地の地区に比べて、発見地点が非常に多いにもかかわらず、その出土品が極めて少ないことが何よりの証拠だそうです。




投稿日:2007年03月01日 14:05 | コメント (0)

 こんなマンションに住んでいた古代蒜山人

蒜山盆地に入々が住みつくようになったのは、今から約4、000年ほど前(縄文後期の初期)、この蒜山の原野にイノシシや鹿などを追ったり、木の実を取るためにやってきた人々が最初であろうといわれています。



投稿日:2007年02月07日 14:03 | コメント (0)

 ゴムなんて無かった時代のこと
平安時代にも人が住んでいたとは驚き。


「和名抄」などによれば、平安時代の蒜山地方は美作国大庭郡布勢郷と呼ばれていたそうです。

布勢郷は次第に荘園化して、中世になると布施庄といわれるようになったようです。その布勢郷(布施庄)の境域は広大で、現在の真庭郡旧川上村・八束村・中和村と湯原町にまたがっていたようです。

 奈良・平安時代のことはよくわかっていませんが、「続日本紀」の神亀5年(728)の条には、「美作国内の大庭・真嶋の2郡は、都に送る税の米か860余石の記述。山川が峻遠なために、米を輸送するのか非常に困難で、入馬ともに疲れて、輸送費用などか極めて多くかかる。だから、できれば税米に換えて綿や鉄を納めさせてもらいたい。」と美作国から願い出ている記事があるそうです。



投稿日:2007年01月08日 13:24 | コメント (0)