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ジャンル:歴史  

ちょっと前まで蒜山はただの山奥だった①

 徳山家ってそういうことだったの?

 江戸時代の農村では、その政治・産業・文化そのほかすべての面で村の中心になったものは、家柄も古く、多くの田畑・山林を持つ地主でした。 蒜山では旧川上村の徳山家、遠藤家、旧八束村の丸山家などがそれでした。

 いま、これら大地主の一例として徳山家についてみますと、その先祖は、守謹・赤松氏の家臣である岩倉春時の家老であったといわれ、戦国時代では、ひとかどの武士であったそうです。江戸時代の初め、川上村上徳山に土着して農民となったそうです。 その後、武士としての家柄もあり、また田畑や下入(奉公人)たちをたくさんかかえて勢力かあったので、慶長8年(1603)森忠政が津山藩主として蒜山地方を治めることになると、庄屋という村役入に取り立てられたそうです。

 その後、次・三男や下入に田畑を分けて分家させたので、徳山家の財産は一時減少し、18世紀の初めには普通の農民と変わらない生活をおくっていたそうです。その徳山家が、18世紀の末ごろから次々に田畑を買い集めて、19世紀の初めごろには100石(約10ヘクタール)の田畑を持つ大地主になっていたらしいです。

写真は蒜山郷土博物館展示、江戸時代の農作業着です。

投稿日2006年03月06日 14:50


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