ジャンル:文化
ニートなんていなかった古き良き昔②
今も蒜山の女性はよく働きます。
蒜山地方の女性は「奥牛と奥女房」といわれるように、働き者として有名だったそうで、男子にまじって重い肥料を肥おいかご川に入れて背負ったり、牛を使って田畑も耕したそうです。 男子も、春から夏にかけては堆肥の山の大きさを誇り、競って積み上げたといわれています。
稲作をするうえで、やせ地である以上に困ったことは、蒜山から流れ出る雪どけ水の冷いことであったこの冷い水が直接稲に注がれると、稲の発育に大変害があったようです。そこで、水路から田への水の取り入れ口のところに「ひよせ」という水溜の堀を設け、水を温める工夫をほどこしたそうです。
また、稲の品種も、蒜山地方のような寒冷でやせた土地でもできる早稲の一種である赤米を裁培したそうです。この太唐米とよばれる赤米は、味も劣るし、出来ぐあいも普通の稲よりは悪いが、どんな不作の年でも赤米だけは平年に近い収穫があるのがその魅力であったようです。
赤米は、今は文化伝承の一助として、蒜山郷土博物館側の田んぼに植えられています。 昔ながらの手作業により田植えと稲刈りの風景はほとんど見れなくなりましたが、ここでは毎年、手作業で行っています。 農業が発達した今、赤米を日常的に食べる蒜山人はいなくなりました。
赤米は、写真左の蒜山郷土博物館の左側田んぼで作られています。
投稿日2006年03月08日 15:08



