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ニートなんていなかった古き良き昔③
そういえばタバコも作っていたなー
今は昔、米麦の農業だけでは収益に限度があったようで。もっと収益率の高い作物をと、蒜山地方一帯に取り入れられたのかタバコでした。タバコの栽培に必要な手間は、一稲作の場合の6倍に当たるといわれ、農民にとっては大変な労働であったが、暮らしを高めるためには重労働を避けてはいられなかったのではないでしょうか。
タバコ栽培の始まりについては、いろいろな説が残っています。17世紀末のころ、大庭郡上徳山村(旧川上村上徳山)のある農民が、九州太宰府の天満宮に参詣したとき、その種子を持帰って畑に植えたところ、土地に適していたので蒜山地方一帯に広まったとか、また、上徳山村の徳山喜右衛門という人が、天和3年(1683)に薩摩国(現・鹿児島県)日置郡から種子を持ち帰ったものだともいわれ、あるいはまた、タバコの伝来はもっと古く元和年間(1615~1624)のことで、薩摩国指宿の人が、諸国の神社仏閣を巡拝する道すがらこの地に立ち寄り、宿料として置いていったタバコの種子か広まったものであるともいわれているようです。
いずれの話も確かな証拠はないですが、、江戸時代の初めの17世紀ごろ、九州のあたりから伝えられたことはほぼ確かであろうといわれています。
明治30年(1897)ごろの記録によると、岡山県下のタバコのうち、品位の最も優れているのは作州タバコであると記されており、蒜山地方の土質はその栽培に極めて適していたといわれています。宝永年間(1704~1711)には、まだ他地方に売り出すまでには至らなかったが、享保年間(1716~1735)のころには、山中タバコとして岡山や山陰地方に売り出され、蒜山地方の農家にとっては、貴重な収入源となったようです。
筆者は昭和30年代の中ごろの生まれです。 恐らく小学校3年生の頃までは、我が家でもタバコを作っていた記憶があります。 倉庫ほどもある乾燥室がありました。 タバコの生産は急速に少なくなったような気がします。 住居には肉牛が共に住んでいました。 子供の仕事はこの牛にやる餌を小さく切ることでした。 親は犬の散歩よろしくこの牛の散歩をさせていました。 テレビゲームも車も無い、そんな質素な生活でしたが、そんな昔が懐かしいです。
写真は、道の駅、風の家の野菜売り場の風景です。 蒜山でタバコを作る人はなくなりました。
代わりに野菜(おみやげ物用)を作る農家が増えてきました。 一昔前は、お土産といえば、何とか饅頭だったのですが、今は、野菜をお土産にする観光客が多いとの事でした。
投稿日2006年03月08日 15:11



