ジャンル:歴史
今は昔、大山みちをながめて
備前備中地方から大山へ至るには大山往来・出雲往来・雲伯往来の3道がありましたが、大山往来は美作地方を経て大山に至る最短コースとして用いられていました。
備中足守で山陽道と別れ、吉川、尾原、落合を経て、久世で姫路方面から来た出雲往来と交差して、釘貫小川の宿に至ると、いよいよ大山往来になります。美作国分は、ここから藤森宿、郷原宿、延助宿と続き、伯者分に入って下蚊屋、御机とたどって大山寺に至る道です。 今も藤森、郷原や延助には、道沿いに住居が密集していることから、昔には宿場と呼ばれる集落であったろうことが推測されます。しかしながら、昔に栄えた面影はそれ以外には残念ながら見当たりません。
湯原町と川上村の境にある烏居ヶ乢には、かつて大智明権現大山寺四面の鳥居のうち、南面の鳥居があったと、元禄4年(1691)編さんされた「作陽誌」に記されています。ここは大山遥拝の地のひとつであり、老人や女性、身体の弱い者などは、ここからはるかに大山を拝んだといわれています。
年に5回の牛馬市(博労座)が開かれる時は、牛馬仲買入や、この機会にと参詣する善男善女がこの往来を行き来し、特に春と秋の2季には大変なにぎわいを見せたといわれていますが、このにぎわいも、大正元年(1912)の伯備線開通、昭和12年(1937)の大山博労座閉幕などによって次第に衰退し昔話となってしまったそうです。
投稿日2006年03月12日 16:02



