ジャンル:歴史
昔の生活を垣間見る②
写真は蒜山郷土博物館です。
貧弱な技術と体制しか持たなかった弥生期の人々が、冷害から守り得る水田にすることはまず不可能なことであったであろうと考えられています。また、盆地中央の低地を、旭川の治水を行うことによって、広く水田化することも無理であったろうと推測されます。かろうじて可能な地域として推察できるところは、盆地南側の北面傾斜地の谷です。
弥生時代の石器類は、みなこの地帯から発見されています。従って、弥生中期から後期のある時期に、人々がこの盆地の水温の寒冷さ川を克服することに成功して、この地域の一部が開拓され始め、細々とした稲作が営まれていたと考えられますが、このことは、非常に驚異的なことといえるようです。
弥生時代にあまり開拓されなかったこの蒜山盆地も、古墳時代に入って急速に開発されていったようです。
蒜山盆地には、140基を超える古墳が知られている。それは中央低地帯をとりまく低い山々と丘陵上に、ほぼ盆地の東西全体にわたって分布しています。
筆者も中学生の頃、訳の分からぬままに古墳発掘のお手伝いをさせてもらったことがあります。前述の盆地南側だったと思いますが、畑には土器の破片らしきものがいくらでもありました。 パイプを地面に突っ込んで、それに詰まった土から地層を判断などという学術的なことをさせてもらいました。
投稿日2006年10月26日 10:11



