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ジャンル:歴史  

昔の生活を垣間見る⑤

 ゴムなんて無かった時代のこと
平安時代にも人が住んでいたとは驚き。


「和名抄」などによれば、平安時代の蒜山地方は美作国大庭郡布勢郷と呼ばれていたそうです。

布勢郷は次第に荘園化して、中世になると布施庄といわれるようになったようです。その布勢郷(布施庄)の境域は広大で、現在の真庭郡旧川上村・八束村・中和村と湯原町にまたがっていたようです。

 奈良・平安時代のことはよくわかっていませんが、「続日本紀」の神亀5年(728)の条には、「美作国内の大庭・真嶋の2郡は、都に送る税の米か860余石の記述。山川が峻遠なために、米を輸送するのか非常に困難で、入馬ともに疲れて、輸送費用などか極めて多くかかる。だから、できれば税米に換えて綿や鉄を納めさせてもらいたい。」と美作国から願い出ている記事があるそうです。

この地方は、地理的に不便な山間へき地であったがようですが、綿や鉄の貴重な特産物が生産されていたことは注目に値いします。県下においては、古墳時代後期の終わりごろから、「たたら」とよばれる原始的な製鉄法で、砂鉄から鉄を生産していたことが知られていました。

 この山深い自然的条件のよくない地方で、奈良・平安時代に極めて貴重な産物であった鉄が生産されていたことは、水田耕作の困難なこの蒜山原に住む人々にとって、かけがえのない大切な資源を得たことで、筆者のような不遜な子孫も生を受けることができたのではないでしょうか。。。。。


写真は、蒜山地方に伝えわる蒲細工の背負子や雪靴です。

投稿日2007年01月08日 13:24


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