ジャンル:文化・歴史 蒜山
親のいいつけを守りなさい(昭和10年代の蒜山のお話)
親や先生のいい付けを守りなさい。
こんな事を云うと青少年から嫌われる事必定ですね。だいたい親や先生は はいはいと従う子供がいい子供だと思いこんでいますからね。無理もない。「親の言いつけは守らないが、この子はきっと将来大物になる」なんて考える余裕は親にあろうはずもないですから。
ところがこの写真を見てください。 戦時中、蒜山高原は陸軍の演習場でした。この物騒なるものが通常 野砲といわれていた元陸軍の大砲の砲弾です。この大砲は、二列に三頭ずつ並んだ馬すなはち六頭の馬によって牽引されていました。
演習の終わった蒜山原には、この15センチ榴弾砲の砲弾が、標的の近くにはごろごろしていました。地元の農家の人は採草のついでにそれらを拾って帰り,たいていの家ではそれらを床の間において花立としていました。これは私の父が拾ってきたものです。この砲弾は怖くありません。弾の先頭に取り付けられている信管(目標に砲弾が激突の瞬間に発火し、本体にある火薬に引火させる装置。写真左) が本体とはなれている。さらに先端の突起が失われているからです。蒜山原で信管がついた大きな不発弾がゴロッとしているのを見て、思わず足がすくんだ思い出もたびたびあります。
さて、親や先生のいい付けを守りなさい はこれからのはなしです。問題は信管です。ちいさい細工を施し、ポケットにはいるぐらいの信管は、みんなよく野原から拾って帰りました。学校ではいつも注意をうけるのですが効果は薄く、こどもは大なる研究心を持ってハンマーでたたいてみる、その信管にのこっている火薬が爆発して指を飛ばした者もめずらしくありません。最大の悲劇は不発弾を子供が拾ってきて円陣になってみている中で、だれか信管をハンマーでたたき、爆発の結果1人亡くなるということもありました。
広い原野に戸を立てるわけにもゆかず、今も昔も子供の事はむつかしいですね。私も機関銃弾をポケットいっぱい拾ってきて、ペンダントを作った思い出があります
昭和18年ごろになると一発の砲弾の発射音も、あの豆を煎るようなといはれる機関銃の音も聞くことはありませんでした。兵隊さんは蒜山の兵舎には2千人ぐらいいたでしょうが昭和20年の敗戦の時、武器といえば小銃20丁ほどしかなかったとのことです。
いつも兵隊さんは竹やりでの訓練、砂袋を爆薬に見立ててそれを担ぎ、かわるがわる敵戦車に飛び込む練習などやっていました。 「ここにいるからむすびを作ってきてくれないか、はらがへってしかたがないので」 農作業中の方にひそかにたのむ兵隊さん。もはや,信管の心配どころではなく、日本はどうなるのか。担任の先生は日本人は最後の一人になるまで戦うのでアメリカに勝つ、といはれるがではその最後の人が死ぬると日本はどうなるのか。小学生の私でも不安に思うことがいっぱいありました。
投稿日2004年08月10日 00:00




