蒜山・大山のコミ情報 蒜山大山ウォーカー

記事掲載者:三原 政人さん

プロフィールへ 生まれも育ちも蒜山住民。蒜山の自然を山歩き、スキー、写真と楽しんでいます。そんな魅力をご紹介します。
My Yahoo!に追加 Atomの追加 RSSの追加
探す




最近の記事

 

蒜山・大山ライターズブログ

成田教授の
    ワールドレジャーニュース


ファミリーのための
    アウトドアガイド

由井君のとっておき話
美和ちゃんの米子・松江情報
蒜山・大山新発見伝
昌代の口コミガイド
図書カードプレゼント
モバイル版はこちらから
蒜山三座ライブカメラ
お得なクーポン
« 小学生の見た昭和16年12月8日 | ブログのトップ | 新年おめでとうございます。 »

ジャンル:こぼれ話  文化・歴史  

小学生の見た昭和16年12月8日 -戦争終わる-

昭和19年から20年ごろになると、みんなこの戦争は負けるだろうと思うようになりました。

頼みは日本は神の国だから「神風」が吹く(これは元寇のとき、神風が吹いて元の大軍をやっつけた故事による)というまさに神頼みでした。

あとひとつはあのハワイのアメリカの艦隊をやっつけた日本の連合艦隊はどこかに隠れていて、もうぼつぼつ出動するはずだという望みでした。

担任の先生はこういわれていました。

「日本は絶対アメリカに勝つ。日本人は最後の一人まで戦うから」

では、最後の一人が死んだらどうなるかと生意気にも小学生の私はかんがえましたが質問はしませんでした。質問したら鉄拳が飛んでくるだけですから。

例の50円のラジオが、8月15日正午の放送を聞け、とそれのみをくりかえし繰り返し放送していました。ついにその時間が来、近所のものも集まって聞きましたがいつもの雑音でよく聞けませんでした。

しかし、「耐え難きを耐え 忍びがたきををしのび」の玉音放送の文言によりすべてのことを理解しました。

そして家で私の仕事である電気のかさに布をかけ、光が外に漏れるのを防ぐ仕事は終わったと思いました。


※上記の写真は、リュック(手製)です。アメリカの飛行機が焼夷弾でも落としたら速く逃げるための用意です。

投稿日2006年12月22日 16:20


この記事へのコメント



この記事へのトラックバック: