2007年03月28日
それは4月のある休日の午後でした。いつものように、妹はわたしの背にいました。大きいものは小さいものの面倒を見る、それは私の小さい時の不文律でした。 突然 半鐘(今のサイレンのように、緊急事態の発生を知らせるどの集落にもあった釣鐘)が連打されました。火事だ。妹を背負って自分で作ったよれよれのわらぞうりを履き、田畑を横切り現場に近ずいて仰天しました。 火事はさらなる風を呼び、今焼けてゆく何軒かにの家からはがれおちたカヤの一本一本に火がついたものが強風に乗り、あたかも大河のように煙とともにほとんで真横に走り、何百m離れていようがその流れにあるものは民家も道端の枯れ草も、田に散布してあった乾いた堆肥さえ、すべて総ナメにしてゆきました。日でり続きもわざわいを拡大させました。当時の民家も納屋なども、安藤広重の描いているようなカヤぶきでしたので、屋根に火の粉が一つでの飛んできたら、万事休すです。
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