ジャンル:こぼれ話 文化・歴史 蒜山
世にも恐ろしい風景
それは4月のある休日の午後でした。いつものように、妹はわたしの背にいました。大きいものは小さいものの面倒を見る、それは私の小さい時の不文律でした。
突然 半鐘(今のサイレンのように、緊急事態の発生を知らせるどの集落にもあった釣鐘)が連打されました。火事だ。妹を背負って自分で作ったよれよれのわらぞうりを履き、田畑を横切り現場に近ずいて仰天しました。
火事はさらなる風を呼び、今焼けてゆく何軒かにの家からはがれおちたカヤの一本一本に火がついたものが強風に乗り、あたかも大河のように煙とともにほとんで真横に走り、何百m離れていようがその流れにあるものは民家も道端の枯れ草も、田に散布してあった乾いた堆肥さえ、すべて総ナメにしてゆきました。日でり続きもわざわいを拡大させました。当時の民家も納屋なども、安藤広重の描いているようなカヤぶきでしたので、屋根に火の粉が一つでの飛んできたら、万事休すです。
とつぜん、その火の大河を横切ろうとした人がいました。行くな 誰かが大声で怒鳴りました。もし渡っていたら髪も服も丸焼けだったでしょう。
風はしづまり、長い長い一日は終わりました。私たちの集落の焼けた何軒かの家はまだ赤々と火の海で、まさに鬼火迫るといった感じでした。
注意しろ と呼びかけている人がいました。何を注意を 当時の便所は大きな木の桶を 土中に埋めたものがほとんどで、その上に用をたす簡単な装置があるのが普通でした。火事があれが当然その逸物が煮えたぎることになる、やけくそ というのはそこに語源があるかどうか知りませんが、注意しろというのはその悲惨な経験からそこに落ちるなの言い伝えによるものでしょう。
いま、火事に全く無防備なかやぶき屋根がなくなったのも、火事 とくに類焼がなくなった大きな原因のようです。
写真はかやぶき屋根をトタンで巻いた家です。外部からの火には強いですが内部からの火には水の掛けようが無く消火には難儀です。
上の写真は、かやぶき屋根が無くなり、かやの需要が減り、今ではかやは野焼の対象になっています。
投稿日2007年03月28日 09:22




