ジャンル:文化・歴史
井 手 あ げ
(写真1)
井手とは「水を他に引くための水路」のことです。
私の子供の時には生活用水の確保のための水路は、その家の立地を決定する絶対の要素でした。
ビニールパイプという便利なものが無い時代には、朝起きての洗面、炊事洗濯、風呂、あるいはいちどに大バケツ二杯も水を飲む役牛の世話などどれをとってみても水路がそ
ばにないと成り立ちません。
したがって、集落は井手にそって立地するのが普通でした。
さて、稲作とその井手はどのような関係にあっただしょうか。それは水田の位置、あるいは山際の一戸の住居などそれぞれ異なりますが、一般には蒜山では生活用水路は昔も今も水田用水路を兼ねているわけです。
田植えが近ずくと、その準備として日ごろの生活用水路に、その何倍もの水田用水を引き入れます。これを「井手あげ」といって年中の大切な行事なのです。
具体的な手順を、わたしのすむ蒜山下福田の約50ヘクタールの水田用水について説明しましょう。水の取り入れ口は旭川の本流からです。
(写真2)
今日は4月22日(日) 井手総代の指揮のもと、約30人が動員され作業開始。
(用水路は完全にストップされるので、鯉を飼っている人には別途連絡あり)
作業は次のようにわかれます。
1 用水路の清掃。近年水路の真んに水生植物が異常発生。水の「富栄養化」
とのことです。(写真1)
2 上流の土砂が水路の交差点に毎年流入し、その除去は大変(写真2)
3 旭川より取水工事。(写真3) コンクリートのいせきはすでに作られていて、そのあいたところに10センチ、3メートルぐらいの角材を数本ずつ、たてに並べて完了。
(写真3)
水門を空けると、水は勢いよく水路に流入します。(昔はコンクリートのいせきは無く川に木のクイを打ち、それに木のえだでせきをつくたり、
石を集めていせきをつくたりしていましたが、そんなチャチなものは少し川の水がふえるとパア。難儀なことこれに勝るは無しの状態でしたが、いくらこわされても、こればかりはすぐ修理しなければでした)
少年の日の思い出
用水路にそって 「つかい川」 というその家専用のすこし水路がひろくしてある家もありました。そこには毎日使うなべ、茶碗などを水につけてありました。小魚がそれらのなかにはいって、残り物の争奪戦 をよくやっていました。また風呂水はその水路からバケツで汲んでいましたので、風呂が湧いたときにはその風呂に小魚が何匹も浮いていることもよくありました。
この井手あげの時には、うなぎコイそのたの大物のさかながいくらでも捕れました。
なかには井手仕事よりそのほうに熱中する人もいました。
今日22日の作業中小魚一匹でも見た人はいないでしょう。旭川にさしだしている大きな山桜の花吹雪のなか、いくらでもつれた魚のことは遠い昔となりました。いまこの付近の旭川でつりをする人は絶無で、完全な「死」の川になってしまいました。
読んでいただきありがとうございました。
投稿日2007年04月26日 12:54




