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これは今年4月12,13日に行われたクラシックカーによるツーリングの名称です。ここの本部は神戸市にあり、たとえば阪神淡路大震災のときなど、チャリティショーに大活躍をされたそうです。
それは4月のある休日の午後でした。いつものように、妹はわたしの背にいました。大きいものは小さいものの面倒を見る、それは私の小さい時の不文律でした。 突然 半鐘(今のサイレンのように、緊急事態の発生を知らせるどの集落にもあった釣鐘)が連打されました。火事だ。妹を背負って自分で作ったよれよれのわらぞうりを履き、田畑を横切り現場に近ずいて仰天しました。 火事はさらなる風を呼び、今焼けてゆく何軒かにの家からはがれおちたカヤの一本一本に火がついたものが強風に乗り、あたかも大河のように煙とともにほとんで真横に走り、何百m離れていようがその流れにあるものは民家も道端の枯れ草も、田に散布してあった乾いた堆肥さえ、すべて総ナメにしてゆきました。日でり続きもわざわいを拡大させました。当時の民家も納屋なども、安藤広重の描いているようなカヤぶきでしたので、屋根に火の粉が一つでの飛んできたら、万事休すです。
1 どんどとは 小正月(1月15日)に正月の門松、しめなわなど一定の場所で焼くことを どんどと言います。このような習俗はそれぞれの地域によって、そのやりかたはずいぶん異なります。では、蒜山地方ではどんなどんどが行われているかを紹介しましょう。2 その前に 「門松立てて門ごとにーーー」の正月の歌のように、一般には門松を立てて正月かざりをするようですが、蒜山では松はほとんど使わずそのかわり「そよご」(写真)をつかいます。戦後、荒れ果てた山林を復興させるため、多くの植林が行われましたがそのとき若い松を門松にすることを自粛しようということに決まりました。そのきまりが定着しているわけです。そよごは赤い小さな実をつけ、常緑の2~3mの雑木で、どこにでもあります。
昭和19年から20年ごろになると、みんなこの戦争は負けるだろうと思うようになりました。頼みは日本は神の国だから「神風」が吹く(これは元寇のとき、神風が吹いて元の大軍をやっつけた故事による)というまさに神頼みでした。あとひとつはあのハワイのアメリカの艦隊をやっつけた日本の連合艦隊はどこかに隠れていて、もうぼつぼつ出動するはずだという望みでした。
これは私の小学校3年生のときの思い出です。その日は小春日和のとても暖かい日でした。昼過ぎ、自転車から降りた父は「今日アメリカと戦争が始まった」といいました。当時私たちの集落の20戸あまりで、自転車とラジオがある家は1戸しかありませんでした。父は100円の保険金が満期になったということで、50円ずつ出して、自転車とラジオをそれこそ「清水の舞台から飛び降りる」気で買ったそうです。(当時建設作業員の日当は、1円位でした。)
米つくりは儲かるか上の質問にイエスと答える農家は絶無でしょう。経費のおもなものでも、コンバイン代、ライスセンター利用料、田植え機、トラクターの消耗費、燃料、機械の修理代、肥料、農薬、苗の購入費(一部の人)など、農家の私でもいやになるぐらいです。(これらの正確な数字を挙げ、なん%の利益率があるかは、農家各人によって相違し、困難です。 なぜ米を作るか
次に鞍野さん自身について。1 何年ぐらい前から蒜山にお住まいですか。2 前にお住いのところはどこですか。3 蒜山のすばらしい点をおっしえてください。4 蒜山に住んでみて、生活上の困難なことがありますか。5 その他なんでも。
蒜山 鞍野要三氏ご夫妻のお話伝書鳩のかごのとびらが開かれた瞬間、鳩がいっせいに大空に向かって飛び出し、やがて一つの集団となってある方向に向けて飛んでいった。見ているものの中から大歓声が。それは一つの壮大なドラマであった。これは数年前の蒜山中学校あるいは八束小学校の体育祭のお祝いとして、近くにお住まいの鞍野さんのボランティアによるものでした。話には聞いていたけれどそのような実物を見たものは、生徒はもちろん、保護者のなかにも誰もいませんでした。 私は 鞍野さんにお会いして鳩を飼われるにいたったいきさつ、さらに、どうして蒜山にお住いになられるようになられたかなどについて、お尋ねしようと思いながら数年が流れてしまいました。そこで今回は勇気を出してお訪ねすることにしました。
筆者が質問したことについて、次のようなお答えをいただきました。1・年齢はー70歳代2・今のお住まいはー大阪府豊中市3・自宅からの時間はー約2時間半4・年何回別荘へー 約30-35回5・何年前に建てられたかー約8年前6・蒜山を選ばれた理由ーそこに山 が!!7・別荘にこられてよく行かれるところはー快湯館8・蒜山に別荘計画中の方へアドバイスがあればー雪対応、雪対策。太郎の屋根に雪積もらせ 次郎の屋根に雪積もらせ、そして我が愛車も一夜のうちに身動きのとれぬ状態に・・・・・・・・・雪の蒜山は、えもいわれぬ美しさですがまた、なかなかの難物。1メートルの積雪を除雪するのは想像を越えた作業です。大自然の厳しさを感じます。あるがままに受け入れ、自然体で付き合うととても仲良くなれます。
(1)ビニールハウスは県の補助と高額な自己負担金から成り立ちますが、自己負担金は完済されたとのこと (2)宅地購入、基礎工事完了、来月は待望のマイホームの新築。(マイホーム一生の大事業 よくもこんなに早く筆者の感想です)今日の社会では、農業はどこでも苦境にたたされている現実があります。そのなかでなぜこのような成果あげられるのか、わたしはこのように思います。(1) 「稼ぐに追いつく貧乏なし」この格言がこの夫妻にはピッタリです。主人はもちろんですが、重量級と言うよりむしろスマートな奥さんが、じつによく働かれるのを見て感心します。農業で成果をあげるには、奥さんの勤労意欲が絶対条件だということがよくわかります。
二度と還らぬ人生、一日一日をただ惰性で送るのではなく真に自分のやりたいことをやろう。今日はその信念にもとずき、細密な計画をたて異郷の地でトマト栽培の道をひたすら追い求められている蒜山下福田の 舟元 正起 氏夫妻に登場願いました。まず、夫妻に自己紹介をしていただきます。 1 出身地は 兵庫県赤穂市 2 以前のお仕事は 39歳で退職。もと三井物産フューチャーズ(株)支店長職。100%三井物産の子会社で貴金属などの相場に携わっていました。3 なぜトマト栽培に興味をもたれましたか?自然相手の農業のなかでも、特にに手のかけがいがありそうだった。1シーズン1段から12段までの間に毎年ドラマがある。脱サラした夏に、女房方の親戚愛媛県久方高原町のトマト農家二軒に自主研修に行き興味をもちました。
第60回国民体育大会秋季大会(晴れの国岡山国体)はご存知のとうり、岡山県が天皇杯皇后杯の栄誉をもって終わりました。蒜山では山岳競技と馬術競技がおこなわれましたが、字数の関係上馬術競技のうち、障害飛越競技についてのみ報告します。
いよいよ蒜山での国体、ここではつぎの2つの競技が行われます。山岳競技のうちの縦走競技 10月23日(日) 馬術競技 10月23、24,25、26、27日
恒例の表題の大会が9月4日(日)、蒜山スポーツ公園 を中心に開催されました。この行事は、もともと八束村の主催でしたが町村合併 により、今年度より真庭市の主催となりました。 今年は例年より約1ヶ月早く開催されましたが、これは 10月に岡山国体が開かれるためです。 今年度の参加者 は2120名、例年より少ないのはそのことと関係があるので はないかとは事務局の話でした。
6月19日第17回、天の岩戸 開運まつりが、蒜山茅部神社、岩戸ひろば、天の岩戸などを中心に盛大に開催されました。今年から主催者のひとつが、元の川上村から真庭市にひきつがれました。当日の参加者は、主催者の話として例年と同じく3000人、ぐらい撮影会の参加者は500人ぐらいとのことでした。
今年(2005年)は岡山国体の年です。蒜山地方では馬術競技と 山岳競技がおこなはれます。馬術競技の会場に行って みたら(ホテルヒルゼンヒルズ西約2km蒜酪となり)写真 の通り雪の中でした。(1月10日) 山岳競技場はあまりに広く、写真にはなりませんでした。
1.母から子供の時聞いた話四つ塚古墳を掘ってみてやろう、どんな人が埋葬されているか、どんな物が出てくるか。村の人は宝物目当てというよりか、昔からの疑問を解くために掘ったといわれている。最初どこが古墳の入り口かわからず、南側の上のほうから掘ったそうだ。掘ってみてわかったことは、入り口は北であるという事だった。改めて北から堀って、新鮮な空気が中入ると遺骨はすぐ崩れてしまったそうだ。