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(写真1) 井手とは「水を他に引くための水路」のことです。 私の子供の時には生活用水の確保のための水路は、その家の立地を決定する絶対の要素でした。ビニールパイプという便利なものが無い時代には、朝起きての洗面、炊事洗濯、風呂、あるいはいちどに大バケツ二杯も水を飲む役牛の世話などどれをとってみても水路がそばにないと成り立ちません。したがって、集落は井手にそって立地するのが普通でした。 さて、稲作とその井手はどのような関係にあっただしょうか。それは水田の位置、あるいは山際の一戸の住居などそれぞれ異なりますが、一般には蒜山では生活用水路は昔も今も水田用水路を兼ねているわけです。 田植えが近ずくと、その準備として日ごろの生活用水路に、その何倍もの水田用水を引き入れます。これを「井手あげ」といって年中の大切な行事なのです。 具体的な手順を、わたしのすむ蒜山下福田の約50ヘクタールの水田用水について説明しましょう。水の取り入れ口は旭川の本流からです。
それは4月のある休日の午後でした。いつものように、妹はわたしの背にいました。大きいものは小さいものの面倒を見る、それは私の小さい時の不文律でした。 突然 半鐘(今のサイレンのように、緊急事態の発生を知らせるどの集落にもあった釣鐘)が連打されました。火事だ。妹を背負って自分で作ったよれよれのわらぞうりを履き、田畑を横切り現場に近ずいて仰天しました。 火事はさらなる風を呼び、今焼けてゆく何軒かにの家からはがれおちたカヤの一本一本に火がついたものが強風に乗り、あたかも大河のように煙とともにほとんで真横に走り、何百m離れていようがその流れにあるものは民家も道端の枯れ草も、田に散布してあった乾いた堆肥さえ、すべて総ナメにしてゆきました。日でり続きもわざわいを拡大させました。当時の民家も納屋なども、安藤広重の描いているようなカヤぶきでしたので、屋根に火の粉が一つでの飛んできたら、万事休すです。
1 どんどとは 小正月(1月15日)に正月の門松、しめなわなど一定の場所で焼くことを どんどと言います。このような習俗はそれぞれの地域によって、そのやりかたはずいぶん異なります。では、蒜山地方ではどんなどんどが行われているかを紹介しましょう。2 その前に 「門松立てて門ごとにーーー」の正月の歌のように、一般には門松を立てて正月かざりをするようですが、蒜山では松はほとんど使わずそのかわり「そよご」(写真)をつかいます。戦後、荒れ果てた山林を復興させるため、多くの植林が行われましたがそのとき若い松を門松にすることを自粛しようということに決まりました。そのきまりが定着しているわけです。そよごは赤い小さな実をつけ、常緑の2~3mの雑木で、どこにでもあります。
昭和19年から20年ごろになると、みんなこの戦争は負けるだろうと思うようになりました。頼みは日本は神の国だから「神風」が吹く(これは元寇のとき、神風が吹いて元の大軍をやっつけた故事による)というまさに神頼みでした。あとひとつはあのハワイのアメリカの艦隊をやっつけた日本の連合艦隊はどこかに隠れていて、もうぼつぼつ出動するはずだという望みでした。
これは私の小学校3年生のときの思い出です。その日は小春日和のとても暖かい日でした。昼過ぎ、自転車から降りた父は「今日アメリカと戦争が始まった」といいました。当時私たちの集落の20戸あまりで、自転車とラジオがある家は1戸しかありませんでした。父は100円の保険金が満期になったということで、50円ずつ出して、自転車とラジオをそれこそ「清水の舞台から飛び降りる」気で買ったそうです。(当時建設作業員の日当は、1円位でした。)
白いメシが食べられるこれは日本人が夢にまでみたねがいでした。それがやっとかなったのは今から 4~50年前の事で、日本の歴史からみると「ほんの今先から」というべきものでしょう。わたしは子供のとき、太平洋戦争とその戦後の混乱期 をすごし、米についていろいろ見てきました。まず米は国の統制品となり、耕作面積に応じて国が強制的に買い上 げてゆきました。
平成17年(2005年)3月30日、川上、八束両村の名は、この日をもって終わりを告げました。両村は、明治35年4月1日にこの村制を施行しましたが、ここに103年の歴史を閉じる事になります。左の地図は読みにくいですが、川上、八束,中和、湯原、美甘、勝山、久世、落合、北房の9町村が合併する事になりました
蒜山にこられた方はよく、写真のような白い物はなにかと聞かれます。さて何でしょう。名前は「ロール牧草」。目方は300K前後。中身は半乾燥の牧草です。機械で硬く丸くし、その上をビニールの帯で巻いてあります。まあ簡単に言うと人様の「漬物」ですね。もし一頭の牛が食べるなら半月は持つそうです。(硬く巻くと、空気が入らず、乳酸菌の発酵作用により牧草は腐敗しないそうです。
親や先生のいい付けを守りなさい。こんな事を云うと青少年から嫌われる事必定ですね。だいたい親や先生は はいはいと従う子供がいい子供だと思いこんでいますからね。無理もない。「親の言いつけは守らないが、この子はきっと将来大物になる」なんて考える余裕は親にあろうはずもないですから。
ところがこの写真を見てください。 戦時中、蒜山高原は陸軍の演習場でした。この物騒なるものが通常 野砲といわれていた元陸軍の大砲の砲弾です。この大砲は、二列に三頭ずつ並んだ馬すなはち六頭の馬によって牽引されていました。