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記事掲載者:成田 滋先生

プロフィールへ 海外出張の際に感じた海外情報や、その他レジャーの楽しみ方など徒然なるままにご紹介します。
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先日、友人や同窓生らが退職祝の会を開いてくれました。ボストンから来ている長男とその家族が同席したのも嬉しいことでした。家族一同、なんともいえないよい心 持ちに満たされました。


私の人生は、一口で言えば「多様性」に満ちた人生といえます。生まれ育ったところも樺太や北海道のあちこち、学んだ大学も北海道大学、立教大学、ウイスコンシン大 学、仕事をしたのも北海道、東京、沖縄、神奈川、そして兵庫、勉強したことも法律、政治学、社会教育、グループダイナミックス、障害児教育、統計学、教育工学などなど焦点が定まらない人生です。自分でも苦笑する始末です。



投稿日:2008年03月28日 10:00 | コメント (1)

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「沈黙は金」が今回のテーマです。外国人と会話すると、「これでもか、これでもか」と思えるくらいしゃべってきます。それにつきあうと少々疲れます。ですがこうした冗長とも感じられる会話から学ぶことも多いものです。彼らは絶えずしゃべることによって、心理的な安定を得ているのではないか、しゃべることによって相手からなにか自分の知らないことを知ろうとしているのではないかと思われるふしがあります。


誰も沈黙は好きではないでしょう。例えば、長時間電車に乗っているとします。隣の座席にいるのはどんな人か、と感じながらだんまりを決め込むのは簡単ですが、居心地が悪いものです。声をかけると嬉しそうに応えてくれると、お互いいーい心持ちになるものです。時に「沈黙は金」というフレーズには、いろいろに解釈できそうです。

沈黙ですが、「だんまりをきめこむ」「情報は隠すに限る」「黙っていれば愚か者でも賢く見える」など枚挙にいとまがありません。一方「物言えば唇寒し秋の風」と芭蕉はうたいます。寒い地方の人の口は重たい、いわれますがこれは寒さのせいでしょう。秋は沈黙がふさわしいようです。「雄弁は銀、沈黙は金」では、雄弁のほうが沈黙に勝るようです。古代ヨーロッパでは、金よりも銀が珍重された時代があります。



投稿日:2008年02月12日 09:59 | コメント (0)

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息子夫婦が二人の子どもを連れて大阪は豊中市にやってきています。数ヶ月の滞在です。新しい環境にまだ戸惑っているようですが、子どもは地元の小学校と幼稚園にすっかり慣れ毎日通っています。


子どもの遊びは、彼らの生活の中心であることがわかります。とにかく体を四六時中動かし、外から帰ると「腹が減った」といってはスナックをほおばっています。先日近くの校庭に行ったときのことです。ジャングルジムやアスレチックのような設備があります。高いところからロープがぶら下がっていて、子どもは競うようにして登ろうとします。大人の私ですら怖ろしい位の高さです。



投稿日:2008年02月12日 09:34 | コメント (0)

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私ごとですが、いよいよ今年の3月で定年退職です。「その後はどうなるんですか?」と聞かれることが多いので、決まって「ご臨終です。」といって煙にまいています。65歳まで働けるのは幸いなことです。

これも健康のお陰です。健康の源には家内が作る野菜を中心とする食事にあるようです。そしていつも彼女の大きなお尻に敷かれています。

定年とはなんでしょうか。一つの区切りではあるのですが、新しいことを考えるきっかけとなりそうです。仕事中心の生活では考えることは限られます。

いつも授業のこと、研究のこと、学生のことでを考えるために、話題はもっと自由な世界へと広がりません。もう少し言いますと心の中のなにか大切なこと、を忘れがちになっている自分を発見します。定年は、新しい発見をする機会のことではないか、と最近考えています。



投稿日:2008年01月24日 13:18 | コメント (0)

9004.JPG  幼子キリストが生まれた話には、ベツレヘムという小さな街、しかも馬小屋の中の飼い葉桶が登場します。ヨセフが臨月のマリアを連れて宿に泊まろうとします。しかし、どこも一杯で2人は困ってしまいます。

ですが、親切な宿屋の主人が、「馬小屋ならあいています」といって2人の寝床を用意してくれます。このような粗末なところでキリストが生まれたからといって、「キリストは人間の最も清貧な生き方を示したのだ」というような誤解をしてはいけません。当時、誰もがそのような条件で子どもを産み育てたのです。決して貧しさを誇張してはならないのです。
 
キリストがお生まれになるということを、光輝く星を見て導かれる人がいます。3人の博士です。「さあ、キリスト様を拝みに行こう」。3人はそれぞれ乳香、もつ薬をもって輝く星を目指します。その星の下に馬小屋があるのです。

その途上の3人の期待や喜びはいくばかりだったでしょうか。誰も喜ばしいことには胸が躍ります。そして馬小屋に着きます。博士は飼い葉桶に眠るキリストに対面し、深くお辞儀をします。マリアは嬉しそうです。神様からお告げをうけて生まれたのですから、その不思議な巡り合わせをしみじみ。想ったはずです。



投稿日:2007年12月25日 11:02 | コメント (0)