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料理は簡素、会話は濃厚
ある時、ある一家から食事に招かれたことがあります。まだ私がアメリカでの研究に出かける前のことです。勇んで出かけましたが、なにか様子がおかしいのです。その奥さんには、一向に食事の支度をする様子がありません。食卓につきますと、一瞬唖然としました。
料理の量と種類が、私の感覚からすると少な過ぎるのです。卵焼き一個、ピクルス、パン、牛乳、ジュースです。おかわりもできません。しかし、その家族は皆平然として会話しています。お招きを受けたのは、食事ではなく会話であることに気がついたときは、既に遅かったのです。
この質素な食習慣はあまり珍しいことではないことを、やがてアメリカで幾度も経験することになります。
中国や韓国、日本の食文化では、招いた人を料理でもてなします。これは儒教の「仁」に通じる思想かもしれません。「お腹を満たす」ことが美徳というわけです。ですが、人を招いたり、パーティが好きな民族には、あまり料理に時間をかけないことも結構あります。料理を外注したパーティを楽しむ「ケータリング」、そして招かれた人が自分の料理を持ち込む「ポトラック」があります。どちらも共通することは、料理は脇役、会話や人付き合いが主役ということです。
「ポトラック」では、1人が5人~8人くらいの料理を持参します。50人集まると50種類の料理が楽しめるというわけです。集まってくる人の国籍が違うと、料理はまさに「国際バイキング」となります。このとき、大事なのは50人が一口ずつ賞味できるように、ほんの少しを皿に盛ることです。私は性分としてあさましいのか、これをつい忘れがちになります。
「ポトラック」のもう一つの良さは、食事の跡形付けが簡単なことです。各自が自分の皿を持ち帰るだけです。残った料理をお土産にもらってもいけます。パーティのホストファミリーもこれで大助かり。パーティに集まる人に求められることは、料理を楽しみながら会話も楽しむというセンスです。日本の奥方が、もし「ポトラック」に抵抗があるとすれば、それはこの時代とは少々ずれた感覚なのかもしれません。
最後に、私も会話は苦手です(;_;)
投稿日2006年06月22日 15:34




