ジャンル:こぼれ話
人生の回り道
私のような人生の回り道をした者は、大学にはそういません。
大学では皆、研究者の道をまっすぐ進むのが有利だと考えられています。従って、私は大学の研究者としては遅咲きの部類に入ります。
「いろいろな経験をしたきたようですね?」この言葉をこれまで何度もきいてきました。言外に「大分損したですね」とでも思っているようです。
ですが、欧米にはこうした回り道の人生を経るものは少なくありません。それが当たり前だと考える風土もあります。
多くの人々は、どういう仕事が向いているのか、どんな勉強をしたいのか、どんな冒険をしたいのかを真剣に考えて回り道するのです。
今、朝の連続小説では、主人公が音楽への志を持ちながら、味噌屋さんで奉公する姿が放映されています。小さいときから音楽漬けで音楽家になる人は少ないはずです。
私以外で、身近にあった回り道の例をいくつか挙げましょう。
アメリカの医学部に入る者は、学部時代に文学、教育学、美学、経済学などさまざな専攻を経て入学してきます。医学を修めるのには、人間についての学びが大事だと考えられており、こうした人文科学の基礎を学んで医学部にやってくることは大いに歓迎されています。医学部にやってくる者は、いろいろ冒険してくる者もいます。
大学の新聞で、フットボールを4年間やって大学のスター選手となり、その後、母校の医学部を修了して小児科の医者になった記事を読んだことがあります。また、親しい友人のなかに、神学校で学び、それから日本で奉仕活動をし、帰国してから数年タクシーの運転手をやり、やがて大学院に進んで研究者になった者もいます。
現在、フリータやニートなどの若い人々が多いといわれています。
こうした若者は一種の回り道をしているといえます。自分探しを真剣にしている、と考えるのはどうでしょうか。
彼らに対する社会の寛容さは、彼らを将来伸ばすことにつながるのではないでしょうか。
「そんなことで甘やかすから、フリータが増えるんだ!」という声が聞こえてきそうです。
しかし、ちょっと待ってください。自分探しの行為は、その人を成長させるのではないでしょうか。
そして自分探しを懸命にする人の成長は、やがて社会の発展の原動力になるかもしれないのです。
映画や小説には、こうした回り道の人生を歩む者が多く主人公として登場し、人々に勇気や希望を与えています。今、わたしたちの日本社会は、はたして回り道の生き方に寛容であるか、冷淡であるかを考えてみたいのです。
投稿日2006年08月18日 10:22




