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コミュニティの形成と広場の役割 その2

前回、北欧の都市の広場は、聖なるものと俗なるものが交わるところと述べました。とりわけ、中世に勃興した自治都市と広場の関係は、興味深いものがあります。
エストニアの首都タリンの街は城壁で囲まれて発展しました。その中に広場があります。エストニアは小国の故に、第二次大戦前後は大国に翻弄された歴史があります。ソ連崩壊後の1991年に独立を宣言しました。
タリンの街には古い教会が建ち並び、タウンホールといういわば役場が広場の一角にあります。広場は街の中心にあり、恐らくいろいろな集会が開かれたようです。
さらに街には、商工組合の原点とされるギルトのあった建物があり、政治とは切り離された独自の商行為をしていたことがうかがわれます。その建物は今は歴史博物館となっています。
ここで広場が、文化の形成にどのような役割を果たしたかを考えます。通信技術が発達しなかった昔は人と人が出会うことが必要でした。人との出会いの場、それが広場となりました。人と「もの」と「情報」が混じり合うのが広場です。「もの」とは、商品などを指します。ついで「情報」ですが、これは文化ということになりましょう。
文化といえば、その使われ方は一つの方向性があるようです。つまり、文化とは好ましいもの、望ましいものと考えられていることです。その例として、文化という単語は、枚挙にいとまがないほどたくさんの名詞があります。
文化国家、文化都市、文化村、文化庁、文化勲章、文化功労、文化の日、あげくは文化風呂、文化食品、文化鍋文化包丁などというのもありますね。少々いやな響きの単語に「文化人」というのもあります。どれをとっても文化とは、おおむね好感を持って受け入れられようなところがあります。しかし、それは文化の一面にしかすぎません。
人が作ったものが文化だとしてみますと、すべての文化が人間を幸せにしたということではありません。人は文化によって苦しみ、虐げられ、死に追いやられてきた事実もたくさんあります。文化を生み出した広場の歴史を垣間みてもそれがいえます。
たとえば、魔女狩りが行われ、火あぶりやギロチンなどのみせしめの処刑が行われたのも広場の所産である文化です。君主政治にみられる権力や権威の横暴を誇示したのも文化です。
広場の象徴といえば、赤の広場や天安門広場ですね。ロンドンのトラファルガー広場は戦勝記念につくられていて、人のエゴがむき出しのなんとなく歪んだところがあります。広場はこのように考えてきますと、皮肉にも暗い文化の断面を見せつけているかのようです。
白夜の地の大道芸人のおかしい芸には、なんらかの真剣なメッセージがこもっています。人々は立ち止まり、そしていくばくかの賽銭を投げ入れます。どのような広場でもその舞台の主役は、メッセージを共有しようとする人々ということになるようです。広場に立つと、その国の歴史を考えさせてくれます。
投稿日2007年06月19日 15:35




