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記事掲載者:成田 滋先生

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ジャンル:こぼれ話  

校庭の遊具から考える。

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息子夫婦が二人の子どもを連れて大阪は豊中市にやってきています。数ヶ月の滞在です。新しい環境にまだ戸惑っているようですが、子どもは地元の小学校と幼稚園にすっかり慣れ毎日通っています。


子どもの遊びは、彼らの生活の中心であることがわかります。とにかく体を四六時中動かし、外から帰ると「腹が減った」といってはスナックをほおばっています。先日近くの校庭に行ったときのことです。ジャングルジムやアスレチックのような設備があります。高いところからロープがぶら下がっていて、子どもは競うようにして登ろうとします。大人の私ですら怖ろしい位の高さです。

側にいた長男夫婦が「アメリカの学校にはこんな遊具はない」というのです。子どもの怪我を心配するからだそうです。もし怪我でもしたら、親は学校を訴えるのです。「こんな危ないものを置くから子どもが登るのだ」と主張するのでしょう。「自分の責任で遊ぶ」ということは通じないのでしょう。日本の学校や公園にはこうした設備はあって、遊ばせるのは保護者の責任となる、という説明で長男らは納得したようです。

今回のテーマはこの責任の所在ということです。誰の責任になるかという話題は古からどの文化にも共通するものです。裁判がその例です。街を歩いていると道路工事をしています。その横に必ず頭を下げた工事の人の立看板が置いてあります。「どうもすみません。しばらくご容赦ください。」。立看は、歩行者がもし躓いて怪我でもしたら「歩行者の責任です」と言っているようです。外国にはこうした看板はほとんど見受けません。「この工事はあなたがたのためにやっている」という姿勢だからです。気をつけて通るのは当たり前なんだから、頭を下げる必要はどこにあるか、というのです。

日本中、こうした看板は工事現場で見られます。ここには日本人の謙遜さのようなものを感じます。婉曲の表現ながらそれは、「皆さんの責任ですよ」というメッセージでもあります。校庭の遊具に戻りますが、「自分の責任で遊ぶ」という姿勢ならば、「気をつけて遊ばせてください」とか「親は目を離さないでください」という立看があっても良いかもしれません。子どもと親に怪我の危険を預けることによって、責任は自ら引き受けるものだ、ということを理解させるのです。これによって学校と地域の人とのトラブルが少なくなるはずです。

おしまいに「謙遜」というキーワードです。謙遜とはいったいなんでしょうか。さきほどの婉曲的な表現が謙遜の一つですね。へりくだることによって、責任を他者に委ねるということです。その意味では、さきほどの立看は謙遜さの表れといえます。実に巧妙な知恵です。「余計なお世話だ」という解釈には、少々殺伐さを感じます。校庭に遊具が置かれていても立看がないのは、「自分の責任で」という謙遜の表れなのだと解釈もできます。それにつけても、昨今自分の行動に自分で責任をとろうとしないことが多いのではありませんか。

投稿日2008年02月12日 09:34


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