ジャンル:こぼれ話
風土と文化
和辻哲郎の「風土--人間学的考察」というのを読みなおしました。題名が示すように、人を取り巻くさまざまな現象の中に自然科学の対象ではない「風土」という概念を持ち込んで、人を風土における「関係」という視点で考察するのがこの本の中心のようです。一般に風土の現象といいますと、人は単に風土に規定されるのみでなく、人は風土に働きかけてそれを変化させると考えられています。しかし、和辻は風土を自然環境として観照する立場をとりません。風土は本来個人的社会的な二重の性格をもつ人間の了解の仕方という立場です。これはどのような意味でしょうか。
私なりの解釈をするためにここでは、「人を子どもとし、保護者や家族を風土として置き換え」てみます。子どもは保護者によって完全に規定される存在ではありません。子どもには天賦の才が備わっています。モンテッソーリはそれを秩序感と言っています。他の人は別な言葉で才を形容します。しかしこの才は、保護者という風土が育み伸ばすものです。子どは保護者を変えたりすることができません。また、子どもは保護者の庇護にありながらも本来の生きることへの志向性があります。それをどのようの伸ばすかは、保護者や家族という風土にあるのではないかと考えられます。その風土とは、時間を経て形成された暗黙のうちに他の時代にも受け入れられる普遍的なものです。
和辻は、風土は歴史性と時間性があるといいます。風土は、「三原という家族」でも「成田という家族」でもない、「我」という境内を越えて超越的な客観が家族としての風土だというのです。そこでは、子どもは個人にして社会であるという「間柄」における人存在となるようです。子どもをどのように育てるかは、もはや一家族のしつけや教育の方針に規定されるのではないようです。「環境による教育、自己活動の重視、自由の尊重」などの考え方は、和辻の主張する風土から生まれる帰結のような気もします。子どもを育てるための文化ともいえましょう
投稿日2009年03月02日 10:50




