ジャンル:こぼれ話
マラソンと学校
今、村上春樹の小説や随筆を読んでいます。
彼の新刊本がどこの書店にも並んでいます。それも一番良い場所にです。
最近呼んだものに「ねじまき鳥クロニクル」、「やがて哀しき外国語」があります。後者のエッセイに彼のマラソン参加記があります。
アメリカと日本のマラソンの違いが書かれていて懐かしくなりました。
今回はマラソン雑感のようなこととします。
私もマラソンは沢山走りました。
唯一の誇りは一度もリタイアしたことが無いことくらいです。タートルのように完走し祝杯をあげるのです。
これは、完走した者だけに与えられる褒美です。部屋にはゼッケンと完走証がたまっていてタイムが記されています。
「結構やるな、、、」という記録もあります。
アメリカのマラソンはのんびりしています。
まず、参加登録は会場でもできます。半年前から受付し、2か月前に締め切りなんていうものはありません。従って、仰々しい参加者リストなどはありません。
リストには氏名、年令、所属の横須賀走友会とか湘南ランナーズなどが印刷されているあれです。私のは、名前と年令だけが印字されます。所属無し、勤務先無しです。「なんでそんなことを申請する必要があるのか」というあまのじゃくなのです。
また、氏名や年令など、そんなくだらないことを誰が使うのかと疑いたくなる、まったくゴミのようなものです。
アメリカの小さなマラソン会ではこんなリストはお目にかかりません。
アメリカの参加費はせいぜい5ドル、500円くらいです。
Tシャーツもありません。
お土産もなし、まったく気楽なものです。横田基地主催のマラソンでは、野外でのBBQをやっていましたが、こちらは有料、でも美味しかったです。横須賀シーサイドマラソンでは三浦大根が参加賞としてくれました。
3本もぶらさげて帰ったこともあります。あのときは重くて格好が悪かった、、、 開会式と閉会式なるものもアメリカではほぼ絶対にありません。
ながながとした歓迎の挨拶などはマラソンにそぐわないものです。
誰も市長や町長の選挙の事前運動のような挨拶を聞いてはいません。それと悲惨なのは、閉会式。
みんなゴールインして、てんでに飲み食いしているときに、誰が閉会の言葉に耳を傾けるでしょうか。
どうせ式につきあっているのは主催の関係者、役場の職員です。ぱらぱらと拍手を強制されています。
なんて可哀相ではありませんか。
そんな光景をぼんやり見ていると、どうして「はじめとおわりのけじめ」が好きな民族なんだろうと思ってしまいます。
そういえば「はじめとおわり」の源流は学校にあります。入学式、終業式、卒業式、運動会、学芸会、すべて校長の出番です。
「それでは校長先生からごあいさつがあります。静かに聞きましょう。」という奴です。
これがマラソンの開会式や閉会式に引き継がれているのですから、学校教育ってすごいんだな、、、と変に感心してしまいます。
こんな儀式よりは、私のようにスタートの号令から5分後にヨタヨタ走り出すようなハンディを解消する配慮が欲しいのです。
記録証のタイムはこの5分を差し引いてくれるものであれば、「日本のマラソンもなかなかやるな、、、」という気分になるんですが。
投稿日2009年07月21日 13:37




