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    <title>成田教授のワールド・レジャー・ニュース</title>
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    <updated>2008-08-11T05:27:02Z</updated>
    <subtitle>学会等の際、海外出張で見聞きした各国の文化やライフスタイル情報を中心に、気ままに掲載します。</subtitle>
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    <title>公園は緑</title>
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    <published>2008-08-11T05:23:16Z</published>
    <updated>2008-08-11T05:27:02Z</updated>
    
    <summary> 公園は人を和ませる場です。公園の設計で大事なことは、人を呼び寄せる工夫とかデザ...</summary>
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            <category term="海外情報" />
            <category term="海外情報" />
    
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        <![CDATA[<img height="129" alt="080811.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/080811.jpg" width="200" align="left" /> 公園は人を和ませる場です。<br />公園の設計で大事なことは、人を呼び寄せる工夫とかデザインです。<br />静かでベンチがゆったりしていて清潔で散歩道が豊かでゆったりしている、ことですね。<br />そんな公園大好きです。]]>
        <![CDATA[外国の街には公園と樹木と芝生が多いのに気がつきます。<br />「緑は芝生というカンバスに描かれている」ようです。<br />緑は人を癒す色です。私の大好きな色です。<br />先日スーパーに買い物に行きました。<br />そこの前になんと武蔵野の原野ではないだろうか、と思うような大木が林立する公園がありました。<br />木立を見て瞬間息をのむようでした。<br />200メートル四方の小さな一角ですが、ひんやりとする風情の公園です。<br />よく見ますと大木はすべてケヤキです。<br />東京の代表的な木ですね。<br />もっとも東京都の木はイチョウだそうです。<br />公園は人の集まる空間です。<br />よちよち歩きの子ども、それを見守る母親。<br />じっと坐るお年寄り、本を広げる中年の男。<br />こうした姿は絵になります。<br />公園が舞台だからです。<br />外国と日本の公園の違いです。<br />それは遊具があるか無いかです。<br />外国の公園に遊具はほとんどありません。<br />「子どもが怪我をしてはいけないから」置かないようです。<br />このコラムでかって、私の長男夫婦が日本の学校の庭を見て少々驚いたことを書きました。<br />それは「アメリカの学校にはこんな遊具はない」というのです。<br />子どもが怪我をするかもしれないからだそうです。<br />もし怪我でもしたら、親は学校を訴えるのです。<br />アメリカでは、「自分の責任で遊ぶ。もし怪我した親の責任だ。」ということは通じないのでしょう。<br />日本の学校や公園にはこうした設備はあって、遊ばせるのは保護者の責任となる、という説明で長男らは納得したようです。<br />外国の公園は、遊具の代わりに芝生が敷き詰められています。<br />鬼ごっこ、ボール遊びに熱中できます。<br />最近芝生を校庭に張る学校が少しずつ増えてきました。<br />日本の学校もようやく芝生の効用に気づいてきたようです。<br />熱を吸収します。<br />怪我も少なくなります。<br />砂埃がたちません。<br />ジョッギングで足への負担が軽くなります。<br />寝そべって大地を感じれます。<br />ですが芝生の最大の効用は、その緑で人を和ませてくれることです。]]>
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    <title>少年時代と「とうきび」</title>
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    <published>2008-08-06T08:54:39Z</published>
    <updated>2008-08-06T09:04:06Z</updated>
    
    <summary> 「とうもろこしカンパニー」から送られてきたスイートコーンをほおばりながら、北海...</summary>
    <author>
        <name>tantaka</name>
        
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            <category term="こぼれ話" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="134" alt="080806.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/080806.jpg" width="200" align="left" /> 「とうもろこしカンパニー」から送られてきたスイートコーンをほおばりながら、北海道とアメリカ中西部時代の頃を思い出しました。<br />北海道ではコーンを「とうきび」と呼びます。<br />とうきびは、寒い北海道の特産です。私たちは、甘いとうきびをゆでたり焼いたりして賞味します。家畜に与えるデントコーンという種類もあります。牛にとって栄養満点のコーンは、北海道の冬場を過ごす餌として大切な食料です。]]>
        <![CDATA[<p>秋場、サイロにはデントコーンが一杯貯えられます。<br />私の故郷は北海道の東部です。<br />美幌という町で育ったのですが、とうきび、芋である馬鈴薯、ビートと呼ばれる甜菜糖などがよく採れました。リンゴや梨もたくさんありました。戦後、私の家族は樺太から命からがら引き揚げてきて、美幌で落ち着きました。<br />母親は3人の男の子どもを育てるの苦労したようです。<br />私はその一人です。<br />母は我々3人を連れて野良仕事にいったようです。<br />父親は抑留されていて、美幌に帰ったきたのは昭和23年と聞いています。その間、母親が我々を育てました。<br />父親に連れられて畑作業をしました。<br />鉄道にトロッコを乗せて畑に行くのです。<br />食料は米以外では何でも作りました。<br />コーンはその代表です。食べ方はいとも簡単です。</p>
<p>ただゆでるだけです。こんな便利な食べ物はないです。子どもでも作れます。<br />ですが、馬鈴薯ほりには苦労しました。腰をかがめて一に中掘っては運ぶのです。<br />トロッコは、汽車がとおってから線路にのせて馬鈴薯、カボチャ、とうきびを家に持って帰 <br />ります。<br />アメリカのコーンの話題に移ります。<br />穀倉地帯の中西部はアメリカの「ハートランド」と呼ばれます。文字通り、国の心臓部です。工業も農業も酪農も盛んなところです。 <br />見渡す限りのコーン畑が広がります。コーンは、缶詰、飼料になります。このあたり <br />の飼料は世界中の畜産を背負っているといっても過言でありません。牛や豚、鶏に<br />とって栄養価の高いコーンは最適の食料です。<br />イリノイ、インディアナ、ミズリー、ウイスコンシン、アイオワ州が生産地です。アメリカが農業国であることは、こうし た穀倉地帯を通ると、なるほどと合点がいきます。<br />最近、大きな変化がこうした穀倉地帯に起こっています。<br />それは、コーンがエタノール燃料として注目されていること、もう一つは気候の変動がもたらす不作です。</p>]]>
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    <title>異文化でのマナー</title>
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    <published>2008-07-10T01:58:13Z</published>
    <updated>2008-07-10T02:15:30Z</updated>
    
    <summary><![CDATA[&nbsp;マナーというのはその国の文化を反映する代表的なものです。マナーの違い...]]></summary>
    <author>
        <name>tantaka</name>
        
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            <category term="海外情報" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<p><img height="134" alt="0710.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/0710.jpg" width="200" align="left" />&nbsp;マナーというのはその国の文化を反映する代表的なものです。<br />マナーの違いを知るこ とはその国を知る大事なことです。<br />外国に行くとつい日本や日本人という眼鏡で「良 いマナー、品のないマナー、、」と受けとめがちです。<br />外国から来た人々も日本を歩いていて同じようにとらえがちです。<br />大事なことは、違いに対して寛容であることです。<br />許容するといっては少々きついですが、「はは、、、これが文化なんだな、、」と 思うことです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>それでは、どこの国に行っても良いマナーといわれることは一体なんでしょうか。一例は「すみません」とか「ありがとう」という言葉がけです。これは万国共通のマナーで す。言葉と行為が一体となっています。言葉がわからないとき、回りの人から助けて もらったときのうれしさは言いようがないものです。</p>
<p>&nbsp;「品のないマナー」とか「悪いマナー」は、文化に対する無知というよりは、自分の行為が他の人にどんな気持ちにさせるかを意識できないことから生まれます。例えば、つばきを道路に吐くとかタバコをポイ捨てするとか、順番を待てないことです。先日、都内で電車を待っていました。整列乗車を守っていたのですが、電車に乗るやいなや後ろからきた人が脱兎のごとくすり抜けて私の座ろうとした席に座るのです。 その敏捷さには驚きました。その人は、座ると鞄から書類を持ち出して点検しているのですから、相当の教養があると見受けました。教養とマナーは別物のこともあると いう例でしょう。 マナーといいますか、面白い文化をいろいろ体験してきました。それは相手と自分の関係を作る小さな行為です。例えば、道を歩いていると、「今何時ですか」とか「今日は」といった声をかけてくることがしばしばあります。あるときは、「バス停に行きたいのだが、どう行けばいいか」といった質問もあります。こちらが知りたいようなことを平気で聞いてきます。「わからないときは、人に聞く」ということをモットーにしている私には、こうした質問を受けるのは、実に心地良いものです。「わからないときは人に聞く」ということは、「人に聞くときのマナーを知っておく」が 大事だということです。</p>
<p>外国で食べものやを探すときは、少し年配の人に聞く、それ もお年寄が一番です。彼等は丁寧に教えてくれます。普段の会話が少なくなる年代だ からでしょうか。紳士淑女は働き盛りですから、丁寧ながら早口で説明してくれます。ですから、たどたどしい表現でゆっくり質問することです。こちらのペースに引き込むのです。マナーで私がお奨めするのは、「無知を恥じない」ということです。「言わず、聞かざる、見ざる」では外国の面白さやマナーを体験できません。大いに恥をかく用意ができていると、旅行や異文化の一面が見えてきます。人との出会いを求めるちょっとした勇気が言葉がけです。</p>
<p>このことが最大の旅の楽しみとなればしめたものです。</p>]]>
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    <title>映画が大好き</title>
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    <published>2008-05-22T04:20:01Z</published>
    <updated>2008-05-22T04:28:28Z</updated>
    
    <summary> 最近、古くて懐かしい映画を観ます。黒澤明、市川崑、成瀬巳喜男、稲垣浩、少し時 ...</summary>
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        <name>muraoka</name>
        
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            <category term="こぼれ話" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="0522.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/0522.jpg" width="200" align="left" /> 最近、古くて懐かしい映画を観ます。黒澤明、市川崑、成瀬巳喜男、稲垣浩、少し時 代がくだって吉田喜重、伊丹十三。アメリではジョン・スタージェス、ジョン・フォー ド、エリア・カザン、オリヴァー・ストーン、イタリアではビットリオ・デシーカ、 ミケランジェロ・アントニオーニ、さらにフランスはルネ・クレマン。こうした監督 作品を鑑賞していると、若き良き時代を想い出します。映画館に足しげく通ったものです。それも受験期で多感な頃です。そういえば、亡き父も映画が大好きでした。二 人で酒を飲みながら、映画談義をしたものです。]]>
        最近の映画でも良いのが沢山あります。社会派と呼ばれる作品です。社会派といえば その代表的な話題は、生と死、正義と悪、愛と憎、罪と罰、戦争と平和、です。私は どうしてもアメリカ映画を観る機会が多いので、西部劇やスペクタクル作品が多かっ たアメリカの映画のなかに、こうした社会派の作品も数多くあることを知って貰いた いう気持ちが強いのです。意外と思われるかもしれませんが、こうした真剣な作品が 珠玉のごとく作られています。アメリカには人種の差別が酷かった歴史があります。こうしたいわば負の財産を抱え る国です。それだけに今でも過去の経験を生かすために、後生に歴史を繰り返させな いために、いろいろな手段を用いて教訓を根付かせようとしています。その一つが映画というメディアを用いることです。少し前の作品ですが「グリーンマイル」があります。ジョージアの刑務所が舞台で、黒人を少女殺人の犯人に仕立てるストーリーでした。大分遡りますが「夜の大捜査線」がありました。シシッピの片田舎の警察署で白人警察官から露骨な人種差別を受けながら、冷静に事件の真相を追った黒人警部の物語です。ベトナム戦争はアメリカに大きな傷跡を残しました。戦いの愚かしさや狂気性を描い た「プラトーン」、「7月4日に生まれて」「ランボー」など心の傷を負ったベトナム帰還兵が市民から冷たく扱われ、戦場の地獄をアメリカの田舎町で再現したものなどです。戦争から深い心の傷を背負った帰還兵をよそ者として待遇する差別がそこに見 られます。もはや彼らは英雄ではなく、蔑まれる存在として扱われます。その不条理を訴えるのがテーマです。私たちは過去に立ち戻ってリアルな経験をすることができません。しかし、映画はそれを代行してくれます。映画には、脚本家、監督、俳優らの主張があります。そして私たち観客がいて映画を作品として引き立てています。
    </content>
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    <title>ファインダーの世界</title>
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    <published>2008-05-16T04:33:58Z</published>
    <updated>2008-05-16T04:49:57Z</updated>
    
    <summary> 私の趣味は写真を撮ることです。決してのめり込んで、いろいろ沢山のカメラやフィ ...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
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            <category term="旅の楽しみ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="0516.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/0516.jpg" width="200" align="left" /> 私の趣味は写真を撮ることです。決してのめり込んで、いろいろ沢山のカメラやフィ ルターを集めているわけではありません。定年を機に、大学の研究費からお下がりと してもらった少々高価なデジタルカメラと馬鹿ちょんのカメラを２台を持っているだけです。]]>
        ファインダーを覗いていつも感じることです。それは、私たちの眼はなんと素晴らし い広角レンズなのかということです。180度の世界が広がります。それに比較してファ インダーの世界は実に狭窄した貧しいものです。観光地では人は必ずカメラを持っています。最近は性能が良くなった携帯電話のカメ ラを使う人が多いですね。人々を観察していると気がつくことがあります。それは、 自分の素晴らしい眼を使わないで、カメラのファインダーで景色を見ていることです。 こんなもったいないことはありません。ファインダーの景色は歪んで狭小な姿なので す。大事な景色を自分の眼でしかと焼き付けて記憶に留めるのです。ただ、「綺麗だな、、」といってぐるぐる景色を眺めるだけでなく、一つの景色を少なくても10秒間 位じっと眺めて脳裏に焼き付けのです。そうすると、あとで必ずその光景は蘇ってき ます。プロの写真家の作品はなぜ訴えるのでしょうか。彼らは一コマの写真をとるために、 何日も何時間もじっと被写体を待ちます。太陽が上がり、雲が広がるのを待ちます。 狙った色合いを撮るためにひたすら待つのだそうです。私の考えでは、この「待ち」 が大事なのです。二つの眼で景色を眺めるのは「待ち」のことです。じっと眺めるこ となのです。ニューメキシコ州のアルバカーキーという街に行ったときのことです。車で10分も走 ればそこはもう砂漠のような光景となります。車外に出ると、眼前に360度の地平線が広がります。生まれて初めて全方位の景色に出くわしました。カメラでは撮りきれな い光景です。二つの眼を与えられていることの幸いさを今もしかと覚えています。
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    <title>北京ダックに投資？</title>
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    <published>2008-05-13T04:35:45Z</published>
    <updated>2008-05-13T04:41:54Z</updated>
    
    <summary> 年金生活の厳しさがやってくるのは目に見えています。そこで投資の勉強を始めました...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
            <category term="海外情報" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<p><img height="150" alt="0513.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/0513.jpg" width="200" align="left" /> 年金生活の厳しさがやってくるのは目に見えています。そこで投資の勉強を始めました。長男も是非投資をするようにと「けしかけて」きます。彼等もささやかな額のようですが、投資をしているようです。アメリカ人の多くは、株や信託で投資していると聞いています。</p>
<p>すでにインフレで物価が上昇しています。10年後には物の値段が2倍になったらどうしますか。皆心配します。金儲けをしようというのでなく、生活を防衛するにはどうしたらよいか、ということです。それには預金では駄目です。少しはリスクをしてみようと考えます。そのためには、もっと市場の動き、投資の仕組みや商品を学ぶ必要があります。<br /></p>]]>
        先日中国の留学生宅に招かれて夕食をしました。中国では、数年前まではどんな株を買っても儲かったのだそうです。しかし、このところの株価の下落は庶民に大きな打撃を与えているようです。借金までして猫もしゃくしも投資にのめり込んだそのツケがきました。
    </content>
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    <title>定年退職をひかえて思うこと</title>
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    <published>2008-03-28T01:00:25Z</published>
    <updated>2008-03-28T01:33:55Z</updated>
    
    <summary> 先日、友人や同窓生らが退職祝の会を開いてくれました。ボストンから来ている長男と...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="278" alt="50227-1.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/50227-1.jpg" width="183" align="left" />
<p>先日、友人や同窓生らが退職祝の会を開いてくれました。ボストンから来ている長男とその家族が同席したのも嬉しいことでした。家族一同、なんともいえないよい心 持ちに満たされました。</p>
<p>私の人生は、一口で言えば「多様性」に満ちた人生といえます。生まれ育ったところも樺太や北海道のあちこち、学んだ大学も北海道大学、立教大学、ウイスコンシン大 学、仕事をしたのも北海道、東京、沖縄、神奈川、そして兵庫、勉強したことも法律、政治学、社会教育、グループダイナミックス、障害児教育、統計学、教育工学などなど焦点が定まらない人生です。自分でも苦笑する始末です。</p>]]>
        <![CDATA[<p>仕事もいろいろでした。貿易会社にはいりかけ、札幌での青少年社会教育、沖縄での早期教育と障害児と保護者との出会い、東京の私立学校での講師と障害児担当、そして研究所の教育工学、大学での学生指導と研究などです。趣味はいろいろです。マラソン、サッカー、1000メートル前後の山登り、合唱ーコーラス、レコーダ吹き、映画鑑賞、囲碁、野菜作り、カメラ、一番新しところでは落語、どれ一つとっても極めたものはありません。</p>
<p>このように多様性というカンバスで一杯な人生なのですが、これは恐らくは私の両親からの薫陶と北海道時代のキリスト教との出会いとフロンティア精神、そしてアメリカでの6年あまりの生活の影響かと思われます。尊い命を大事にする障害児教育が多様性に満ちたものであることを確信させられてきたからです。アメリカでの「静かなる革命」と呼ばれた全障害児教育法との出会いは圧倒的なことでした。</p>
<p>私と家内は、すでに第二の幼児期に入っています。知的好奇心にあふれ、新しいことに触発され続けています。なんでも知りたいという気持ちが旺盛なのです。このような姿勢と精神を持ち続けたいと念じています。果たして、気力と体力が続くかが課題です。ですが、勝美システムズ社長の御尊父と奥様は、今なお、かくしゃくとして米やトウモロコシを作っておられます。ご夫婦の後ろ姿は、いまだ若輩の私に元気と勇気をくださっています。<br /></p>]]>
    </content>
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    <title>沈黙は金か</title>
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    <published>2008-02-12T00:59:43Z</published>
    <updated>2008-02-12T01:04:19Z</updated>
    
    <summary> 「沈黙は金」が今回のテーマです。外国人と会話すると、「これでもか、これでもか」...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
            <category term="こぼれ話" />
            <category term="海外情報" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="42191.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/42191.JPG" width="200" align="left" />
<p>「沈黙は金」が今回のテーマです。外国人と会話すると、「これでもか、これでもか」と思えるくらいしゃべってきます。それにつきあうと少々疲れます。ですがこうした冗長とも感じられる会話から学ぶことも多いものです。彼らは絶えずしゃべることによって、心理的な安定を得ているのではないか、しゃべることによって相手からなにか自分の知らないことを知ろうとしているのではないかと思われるふしがあります。</p>
<p>誰も沈黙は好きではないでしょう。例えば、長時間電車に乗っているとします。隣の座席にいるのはどんな人か、と感じながらだんまりを決め込むのは簡単ですが、居心地が悪いものです。声をかけると嬉しそうに応えてくれると、お互いいーい心持ちになるものです。時に「沈黙は金」というフレーズには、いろいろに解釈できそうです。<br /><br />沈黙ですが、「だんまりをきめこむ」「情報は隠すに限る」「黙っていれば愚か者でも賢く見える」など枚挙にいとまがありません。一方「物言えば唇寒し秋の風」と芭蕉はうたいます。寒い地方の人の口は重たい、いわれますがこれは寒さのせいでしょう。秋は沈黙がふさわしいようです。「雄弁は銀、沈黙は金」では、雄弁のほうが沈黙に勝るようです。古代ヨーロッパでは、金よりも銀が珍重された時代があります。</p>]]>
        <![CDATA[<p>友達でも知人でも会話を交わすには話題が必要なことは誰でも知っています。これがないときまずい沈黙が漂います。会話のきっかけとして、家族のこと、趣味のこと、仕事のこと、食べ物こと、故郷のこと、などが会話のきっかけとなります。外国人の場合はなおさらどの話題を引き合いにするかが大事です。しかも、語学が絡みますから少々会話は緊張します。外国人との会話のきっかけとして「日本の印象はどうか」では陳腐すぎます。<br /><br />こんな話題では、対話はすぐ途切れます。そして沈黙がすぐややってきます。そこで提案します。「日本で食べたもので一番美味しくなかった料理はなにか」これが一押しの話題です。どうして美味しくなかったのか、どんな味がしたのか、どうしてレシピが口に合わなかったのか、などです。食の話題は文化にも及び話に花が咲くものです。<br />&nbsp;<br />最近、家内がちょとした行き違いで大いに怒りました。弁明すると一層増幅することを私は知っているので、もっぱらだんまりです。「怒りに対する最上の答えは沈黙」といドイツの諺を知っていたのは幸いでした。</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
    </content>
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    <title>校庭の遊具から考える。</title>
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    <published>2008-02-12T00:34:42Z</published>
    <updated>2008-02-12T00:58:48Z</updated>
    
    <summary> 息子夫婦が二人の子どもを連れて大阪は豊中市にやってきています。数ヶ月の滞在です...</summary>
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            <category term="こぼれ話" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="41079.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/41079.JPG" width="200" align="left" />
<p>息子夫婦が二人の子どもを連れて大阪は豊中市にやってきています。数ヶ月の滞在です。新しい環境にまだ戸惑っているようですが、子どもは地元の小学校と幼稚園にすっかり慣れ毎日通っています。</p>
<p>子どもの遊びは、彼らの生活の中心であることがわかります。とにかく体を四六時中動かし、外から帰ると「腹が減った」といってはスナックをほおばっています。先日近くの校庭に行ったときのことです。ジャングルジムやアスレチックのような設備があります。高いところからロープがぶら下がっていて、子どもは競うようにして登ろうとします。大人の私ですら怖ろしい位の高さです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>側にいた長男夫婦が「アメリカの学校にはこんな遊具はない」というのです。子どもの怪我を心配するからだそうです。もし怪我でもしたら、親は学校を訴えるのです。「こんな危ないものを置くから子どもが登るのだ」と主張するのでしょう。「自分の責任で遊ぶ」ということは通じないのでしょう。日本の学校や公園にはこうした設備はあって、遊ばせるのは保護者の責任となる、という説明で長男らは納得したようです。</p>
<p>今回のテーマはこの責任の所在ということです。誰の責任になるかという話題は古からどの文化にも共通するものです。裁判がその例です。街を歩いていると道路工事をしています。その横に必ず頭を下げた工事の人の立看板が置いてあります。「どうもすみません。しばらくご容赦ください。」。立看は、歩行者がもし躓いて怪我でもしたら「歩行者の責任です」と言っているようです。外国にはこうした看板はほとんど見受けません。「この工事はあなたがたのためにやっている」という姿勢だからです。気をつけて通るのは当たり前なんだから、頭を下げる必要はどこにあるか、というのです。</p>
<p>日本中、こうした看板は工事現場で見られます。ここには日本人の謙遜さのようなものを感じます。婉曲の表現ながらそれは、「皆さんの責任ですよ」というメッセージでもあります。校庭の遊具に戻りますが、「自分の責任で遊ぶ」という姿勢ならば、「気をつけて遊ばせてください」とか「親は目を離さないでください」という立看があっても良いかもしれません。子どもと親に怪我の危険を預けることによって、責任は自ら引き受けるものだ、ということを理解させるのです。これによって学校と地域の人とのトラブルが少なくなるはずです。</p>
<p>おしまいに「謙遜」というキーワードです。謙遜とはいったいなんでしょうか。さきほどの婉曲的な表現が謙遜の一つですね。へりくだることによって、責任を他者に委ねるということです。その意味では、さきほどの立看は謙遜さの表れといえます。実に巧妙な知恵です。「余計なお世話だ」という解釈には、少々殺伐さを感じます。校庭に遊具が置かれていても立看がないのは、「自分の責任で」という謙遜の表れなのだと解釈もできます。それにつけても、昨今自分の行動に自分で責任をとろうとしないことが多いのではありませんか。<br /></p>]]>
    </content>
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    <title>定年を控えて元気がでます。</title>
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    <published>2008-01-24T04:18:56Z</published>
    <updated>2008-01-24T04:25:08Z</updated>
    
    <summary> 私ごとですが、いよいよ今年の3月で定年退職です。「その後はどうなるんですか？」...</summary>
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        <name>muraoka</name>
        
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            <category term="こぼれ話" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="2312.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/2312.JPG" width="200" align="left" />
<p>私ごとですが、いよいよ今年の3月で定年退職です。「その後はどうなるんですか？」と聞かれることが多いので、決まって「ご臨終です。」といって煙にまいています。65歳まで働けるのは幸いなことです。<br /><br />これも健康のお陰です。健康の源には家内が作る野菜を中心とする食事にあるようです。そしていつも彼女の大きなお尻に敷かれています。<br /><br />定年とはなんでしょうか。一つの区切りではあるのですが、新しいことを考えるきっかけとなりそうです。仕事中心の生活では考えることは限られます。<br /><br />いつも授業のこと、研究のこと、学生のことでを考えるために、話題はもっと自由な世界へと広がりません。もう少し言いますと心の中のなにか大切なこと、を忘れがちになっている自分を発見します。定年は、新しい発見をする機会のことではないか、と最近考えています。</p>]]>
        <![CDATA[<p>これまで、仕事では取り組むべき研究課題を見つけることにあくせくしてきました。たとえそれを見つけても、すでに誰かが似たようなことを追求していたことがわかります。研究とは少々キザな言い方で、「アカデミック・ワーク」とか学究活動などと呼ばれますが、所詮重箱の隅をほじくるような作業だったようです。</p>
<p>&nbsp;そういう反省をしながらも、自分なりに何かお役にたつことはないものかと思案はし続けてきました。思案をしながら周りの人との会話を通して、新しいヒントをたくさんもらってきました。同窓生からも多くの元気さと示唆を与えられました。こうした人々に囲まれてきたことは大きな財産といえます。</p>
<p>&nbsp;4月以降は、学究活動から離れてもっと人々の相談に乗れる立場になります。たとえば「こんな研究をしてみたら、、」といって若い人々を刺激してやるのです。と同時に自分に対しても「こんな発想をして自分の思考活動を高めたら、、」と言い聞かせるのです。「未来は想像するものでなく，創造するもの」と誰かが言っていました。これを実践していきたいものです。</p>]]>
    </content>
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    <title>クリスマスの夜話</title>
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    <published>2007-12-25T02:02:53Z</published>
    <updated>2007-12-26T03:15:06Z</updated>
    
    <summary><![CDATA[ &nbsp;幼子キリストが生まれた話には、ベツレヘムという小さな街、しかも馬小...]]></summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<p><img height="150" alt="9004.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/9004.JPG" width="200" align="left" /> &nbsp;幼子キリストが生まれた話には、ベツレヘムという小さな街、しかも馬小屋の中の飼い葉桶が登場します。ヨセフが臨月のマリアを連れて宿に泊まろうとします。しかし、どこも一杯で2人は困ってしまいます。<br /><br />ですが、親切な宿屋の主人が、「馬小屋ならあいています」といって2人の寝床を用意してくれます。このような粗末なところでキリストが生まれたからといって、「キリストは人間の最も清貧な生き方を示したのだ」というような誤解をしてはいけません。当時、誰もがそのような条件で子どもを産み育てたのです。決して貧しさを誇張してはならないのです。<br />&nbsp;<br />キリストがお生まれになるということを、光輝く星を見て導かれる人がいます。3人の博士です。「さあ、キリスト様を拝みに行こう」。3人はそれぞれ乳香、もつ薬をもって輝く星を目指します。その星の下に馬小屋があるのです。<br /><br />その途上の3人の期待や喜びはいくばかりだったでしょうか。誰も喜ばしいことには胸が躍ります。そして馬小屋に着きます。博士は飼い葉桶に眠るキリストに対面し、深くお辞儀をします。マリアは嬉しそうです。神様からお告げをうけて生まれたのですから、その不思議な巡り合わせをしみじみ。想ったはずです。</p>]]>
        <![CDATA[&nbsp;父親のヨセフは、キリストが自分の子である実感をまだ抱かないはずです。そうです。マリアは、神様のお告げで身籠もったとされます。ヨセフは複雑な想いです。でも一人子が飼い葉桶の中に眠る神々しい姿に、やがて安堵と喜びがじわじわわいてきます。誰もが赤ちゃんの誕生には、深い感動を覚えます。<br />&nbsp;<br />今年もいろいろな喜ばしい出来事、悲しい出来事、忌まわしい出来事がありました。皆さんの周りはどうでしたか？私ですが両親と兄が昇天しました。親戚には新しい命の誕生もありました。これも不可思議な生命の営みです。すべての者にやってくるのが誕生と死です。当たり前のことだ、、そうです。<br /><br />それを今一度じっくり考えるのが、クリスマスです。私たちは、だれもがこの命を預かっています。自分の所有ではありません。命はいただくものでなのです。自らの意思で命を創造するのでもなく、命を絶つものでもありません。精一杯与えられた命を生きることに人生の意義と喜びがあるはずです。クリスマスは命の尊さを教えているのではないでしょうか。<br />]]>
    </content>
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    <title>スポーツと目眩</title>
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    <published>2007-12-06T08:31:16Z</published>
    <updated>2007-12-06T08:38:13Z</updated>
    
    <summary> どの民族もスポーツに熱狂します。どんなに苦しいときでも、むしゃくしゃするときで...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="MIL34041.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/MIL34041.JPG" width="200" align="left" />
<p>どの民族もスポーツに熱狂します。どんなに苦しいときでも、むしゃくしゃするときでも、悲しいときでもスポーツの興奮や快感は時間を忘れさせてくれるものです。今回の話題はスポーツと人々の姿です。</p>
<p>&nbsp;スポーツの代表ですが、国それぞれ違います。世界で最もファンの多いのはサッカーです。ボール一個で人々を虜（とりこ）にする不思議なスポーツです。サッカーが世界中、どこの地域でも盛んな理由は何でしょうか。それは、シンプルでかつ奥深いことにあるのかもしれません。まずは私の数少ないエピソードからです。</p>
<p>&nbsp;かってシカゴでマイケル・ジョーダンの試合を観ました。会場はユナイテッドセンターというシカゴ・ブルズの本拠地です。縦横28M,15Mのコートに大の男10名が走り回るその迫力に唖然とします。パス、ドリブル、シュート、どれをとっても「すげー」です。</p>]]>
        <![CDATA[<p>野球の話題です。アメリカの球場では観客は意外とのんびり静かに観戦します。ミネソタツインズとシアトルマリナーズの試合のときです。三塁側で前列から4列目くらいの席です。このあたりの席からは走者や三塁手のスパイクの音が聞こえてきます。すごい臨場感です。私には日本のファンが終始応援し続ける喧騒さには耐えられません。選手の息づかいや緊張さが消し去られるように思えます。</p>
<p>&nbsp;フットボールは野球と並んでアメリカを代表するスポーツといえます。個人の技を競うのはもちろんですが、さまざまなチーププレイがそのたまらない魅力です。プレイとパタンを指示するのがコーチです。選手は自分で決めるのではありません。すべての指令が記者席に陣取る情報収集のスタッフとコーチが一つひとつのプレイを決めるのです。まるで戦争のように統率のとれた動きを選手に要求するのです。選手は一兵卒です。フットボールでは双方が相手の弱点や欠点をいち早くつかみ、それを突いてくるのです。しかし、裏の裏をかくのもまた戦術です。</p>
<p>&nbsp;個人とチームプレイの融合、それによって人々になんといえない目眩（めまい）を贈るのがスポーツといえましょう<br /></p>]]>
    </content>
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    <title>ワインと葡萄酒</title>
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    <published>2007-11-12T07:39:24Z</published>
    <updated>2007-11-12T07:46:09Z</updated>
    
    <summary> 若者から大人まで、ワイン好きの人が増えています。日本酒離れがいわれて久しいので...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="MIL24024.JPG" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/MIL24024.JPG" width="200" align="left" /> 若者から大人まで、ワイン好きの人が増えています。日本酒離れがいわれて久しいのですが、ワインと同様に焼酎は根強い人気がありますね。値段や種類の豊富さがチューハイの人気の理由のようです。<br /><br />ワインですが、女性の需要が高まっていることです。ビールや日本酒に比べて、ワインはなんとなくお洒落な雰囲気があります。日本酒は、落語でもしばしば登場するへべれけになったオヤジさん、おちょこでチビチビやっているしがない中年のイメージがあって何となく暗いところがあります。ぐてんぐてんに酔った女性は落語にはいないですね。]]>
        <![CDATA[<p>アメリカに行ったとき、印象に残ったことの一つがパーティなどでワインを飲む女性の姿でした。盃を片手にとめどもなく対話をする民族だな、、と思ったことです。ワインはビールと違って、ゆっくり飲んでも気が抜けないことです。いくら長い会話をしても、味が変わらないことが好まれます。<br /><br />ワインの歴史は遠く紀元前に遡ることができます。聖書にもワインを取りまく重要な記述が沢山あります。教会の礼典には聖餐式（せいさんしき）というのがあります。これはキリストの死を想い、その教えを確認する儀式です。その式のなかで、教会の信徒はキりストと一体となるために、キリストが流した血、すなわちワインを頂くのです。そのとき、キリストの体としてパンも信徒に配られます。聖書ではワインの日本語訳として「葡萄酒」という言葉が使われます。<br /><br />このようにワインは信仰と深く結びつく大切な飲み物なのです。信仰生活が、ワインに対してヨーロッパなどの人々が特別な想いで製造しているといえます。ワインを賞味するとき、信仰に根ざした葡萄酒の歴史を少しでも思い起こすと、また格別な味わいを楽しめるかもしれません。</p>
<p>11月15日のボージョレ・ヌーボの解禁が近づきました。<br /></p>]]>
    </content>
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    <title>自分で自分のことをする。</title>
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    <id>tag:www.hiruzendaisen.com,2007:/narita//9.1314</id>
    
    <published>2007-11-08T04:05:20Z</published>
    <updated>2007-11-08T04:10:42Z</updated>
    
    <summary> アメリカの家には大抵の道具が揃っています。例えば車の整備に使う工具です。ガレー...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
            <category term="こぼれ話" />
            <category term="海外情報" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="MIL13094.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/MIL13094.jpg" width="200" align="left" /> アメリカの家には大抵の道具が揃っています。例えば車の整備に使う工具です。ガレージには工具が並んでいるのをしばしば見かけます。「Do It Yourself.」（自分のことは自分でする）という言い回しがあります。<br /><br />車の修理を自分でできるのは羨ましいことです。どんなことが自分で車を修理できるかです。それは、主として交換作業です。 <br />それを列挙してみましょう。<br />　<br />オイルとエレメント、Uジョイントオイル、ラジエータ液、トランスミッションオイル、ブレーキオイル、タイヤ、ヘッドライト、テールランプ、スパークプラグ、ブレーキオイルの交換は二人ががかりでやります。一人が運転席でブレーキを踏み、もう一人が空気を抜いてボルトを締めるのです。ディーラーに持って行けば高い工賃が取られます。]]>
        <![CDATA[昨年カンザスシティへ行ったとき、子どもを家庭で教育している家族と会いました。 双子の男の子がいまして、二人に「今日は、家でどんなことを勉強したの？」と聞きました。「父さんが車の修理をしたので、エンジンのことを教えてもらった。」というのです。<br /><br />学校ではなく家で勉強する子どもを「ホームスクーラー」と言います。両親の方針で子どもを学校に行かさず、自分たちで育てるのです。ホームスクールはアメリカですでに全州で合法化され、100万人以上の子どもが家庭で学んでいます。これも「自分のことは自分でする」ということの例です。ですが残念ながらホームスクールは、日本では合法化されていません。<br /><br />その他、家でビールを造る、パンやケーキを焼いてパーティに持っていく、菜園でとれたトマトやキュウリを瓶詰めにして保存する、テーブルや椅子を造る、芝を刈るなど、彼らは意外と器用なところがあります。そのために道具をとても大事にするのです。<br /><br />この夏、ボストンの郊外にすむ長男宅に行きました。このコラムのどこかで書いた記憶がありますが、長男の家族は人里から大分離れた山肌に住んでいます。滞在中に道路沿いの大きな杉を2本切るのを手伝いました。彼はチエーン・ソーを持っています。 <br /><br />二人の孫も倒れかかる杉をロープを引っ張り、小さく切った幹や枝を運ぶのを手伝っていました。自分でできることは自分たちですることの最大の理由は、代々家族の中で父から子へこの伝統のような営みが受け継がれていることです。家族は見よう見まねでいつの間にか道具の使い方を学んでいきます。父の後ろ姿を見て育つのでしょう。<br />]]>
    </content>
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    <title>話は短く</title>
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    <published>2007-10-26T02:05:00Z</published>
    <updated>2007-10-26T02:22:29Z</updated>
    
    <summary> 貯めたポイントを使って、久しぶりに新幹線のグリーン車に乗っています。今回はなん...</summary>
    <author>
        <name>muraoka</name>
        
    </author>
            <category term="こぼれ話" />
            <category term="海外情報" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hiruzendaisen.com/narita/">
        <![CDATA[<img height="150" alt="MIL15077.jpg" hspace="5" src="http://www.hiruzendaisen.com/narita/MIL15077.jpg" width="200" align="left" /> 貯めたポイントを使って、久しぶりに新幹線のグリーン車に乗っています。今回はなんと往復ともです。新大阪発のに乗り込むと私一人の貸し切りです。あとから数名の客がやってはきましたが。<br /><br />グリーン車には足かけ、足のせというのがあります。靴を脱いで靴下をみますとそれがズボンとぴったりの色なのです。ほっとしました。なにせわたしの苦手の中年女性の車掌が切符を調べにくるのですから。<br /><br />それにしても、車内外のアナウンスは長くて気になります。まるで結婚式の祝辞に似ています。結婚式では一人で10分もしゃべる強者もいます。]]>
        <![CDATA[「エー、いろいろとご挨拶を申し上げました。」（ああ、これで終わりだな）<br />「最後にもう一言、、、」（がっくり、、）<br />「私のお祝いの言葉はすべてこれまでの方々がお述べになりましたので、何も申し上げることがございません。」（最高のあいさつだ、、）<br />「ただ、一言だけ申し上げますと、、、」（これでは詐欺だ、）<br /><br />外国の人の挨拶やアナウンスは、概して短いものです。これは即興でやるからではないでしょう。用紙やメモを見てしゃべる人のは長いのです。そんなとき、「ああ、あと一枚で終わりだ、、」とほっとします。挨拶の内容などは吹っ飛んでしまい、「あと何枚原稿が残っているか」といった不遜なことを考えるのです。<br /><br />先日院生の修士論文の中間指導会、というのがありました。一人を除いて全部が原稿を棒読みしているのです。お終いのベルが鳴ってもまだ、しゃべるのもいるくらいです。まるで質問をさせまいとするかのような姑息な態度です。<br /><br />話は相手の視線をみて要点を手短にする。この訓練を私は心がけながら院生を指導しています。ですが、「あなたの話は長くなりがち」という家内からの強烈なボディー・ブローをくらっています。<br />]]>
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